日本紅茶発祥の地 丸子 |
2009.7.11 |
静岡県静岡市駿河区の丸子(まりこ)は、日本の紅茶の歴史を語る上ではとても重要な場所です。その地を訪ねてみました。 多田元吉氏と丸子との歴史についてはこちらが詳しいです→近代茶業史と多田元吉 もっと詳しく知りたい人はこの本を→茶業開化―明治発展史と多田元吉(川口国昭著) |
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多田元吉顕彰碑 | |
起樹天満宮 丸子の赤目ヶ谷というところにある「起樹天満宮」に「多田元吉」翁の顕彰碑はあります。国道1号線からほんの少し入った所ですが、とても小さく、こぢんまりとしています。 |
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多田元吉翁顕彰碑 起樹天満宮の鳥居を入っていくと、やがて右側にこのような碑があります。大きな石碑には 日本近代茶業之先駆者 多田元吉翁碑 と刻んであります。また、その左となりには多田元吉氏の顔が刻まれた石碑(下の写真)があり、手前には3種類の紅茶品種が植えられています。この石碑は雨に濡れると紅茶色になるとか。 |
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こちらが多田元吉翁です。顔の下にはこう刻まれています。 多田元吉は日本人で初めて中国 インドの茶産地を命がけで調査 進んだ茶業を日本にもたらした その後全国を巡回して育種栽培 製造技術指導者養成などに生涯を 捧げ近代的緑茶紅茶生産の 確立に中心的役割を果たした (以上、改行は石碑どおりです) |
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紅茶品種は、左から いずみ (静岡市長様) インド (駐日インド大使 アフターブセット様) 紅ほまれ (静岡県知事様) です。カッコ書きは、贈られた方でしょうか。 |
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この3品種について… 「べにほまれ」は品種登録制度が始まった昭和28年(1953年)に、お茶では一番最初に茶農林1号として登録された品種。「いずみ」は「べにほまれ」の実生選抜種で、茶農林24号(1960年登録)。「いんど」は茶農林12号(1953年登録)で、インド雑種の実生選抜種であり、「べにほまれ」と同時に登録されています。「べにほまれ」「いんど」はひらがな書きが正式な品種名。また、「いずみ」は紅茶用品種の実生でありながら、登録された当時は「かまいり製玉露茶」として品質良好とされている、ちょっと風変わりな品種。 ちなみに、1953年に登録された15品種のなかには、「やぶきた」(茶農林6号)が入っています。第1号に登録されたのは紅茶用品種でしたが、その後の情勢の変化で、現在は煎茶用品種「やぶきた」が品種茶園の7割にも占める怪物品種となっています。 |
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「いずみ」の葉です。15cmくらいはあるでしょうか。大きいですね。色が濃く、がっしりとしていて、葉が厚く、葉縁のギザギザがたくさんあります。いかにも紅茶用という感じです。 |
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顕彰碑のやや斜め後ろに佇んでいるお宮さんがあります。これがたぶん起樹天満宮だと思います。日本紅茶が復活する日まで、見守っていてください! |
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多田元吉氏墓 | |
顕彰碑の裏側に階段があり、その上には多田元吉氏のお墓があります。小高い丘の上からは、赤目ヶ谷の町並みが見渡せます。 ここは、実は隣接している長源寺内の墓地です。 |
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墓地へ続く階段の脇には、多田元吉氏が持ち帰ったとされる、紅茶の原木が植えられています。 「日本紅茶原木」という木製の柱が立っています。中国、スリランカ、インドに旅立ち、ここへ戻ってきて、上記のような品種が作られていったと思うと感慨深くなりますね。 |
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これが「日本紅茶原木」の全景です。樹高は3mくらいはあるでしょうか。ぱっと見はお茶と言われないとわからないくらいです。木肌は白いです。生長した葉は大きく、上の写真(いずみ)と同じくらいの大きさです。 |
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階段を上がったお墓の入り口です。錆びた門扉が月日を感じさせます。意外にも墓石は新しかったです。墓石左側にもお茶の木が植えられていました。 |
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こちらが、墓地を有する長源寺です。起樹天満宮とは隣り合わせで、多田元吉氏の墓にはどちらからも行けます。 | |
丸子紅茶 | |
すぐ近くには、国産紅茶を作っている「丸子紅茶」さんがあります。ご主人はとても良い方で、いろいろとお話を聞かせていただきました。茶品種「べにふうき」での紅茶も生産されており、日本紅茶発祥の地での意気込みが感じられました。 |